中村 良德さん
有限会社中村精密工業所 代表取締役

〒470-2104
愛知県知多郡東浦町生路折戸41番地
電話 0562-83-7730
FAX  0562-83-7632

篠島生まれ

篠島で生まれ、幼い頃から親の仕事を手伝いながら育ちました。中学3年の秋、家族は島外へ引越し、僕と祖父母は篠島に残ることになりました。祖父が始めた旅館を手伝っていましたが、閉めることになったので島を出ることに。岐阜県へ仕事を習いに行きました。

その会社は自転車や車のタイヤに空気を入れる部品を作っていて、この部品は世界共通(世界規格品)なんですよ。当時それを作る会社は少なく、岐阜の太平洋工業さんが大手で、子会社はあるだろうけど、メーカーとしては限られてるし、国内に5社もあったかどうか。

それから2年後の46年12月、名古屋の熱田区で仕事を始めました。名古屋から東浦に来るまでの3年間は、本当に必死で365日動いた。篠島出身なので、肉よりも魚が食べたくなるんですよ。どこかに美味しい店はないかって探しに出かけたけど、当時はそういうお店がなくてね。たまたまテレビでお店が紹介されてたので、週末を使って探してようやく見つけたんだけど、しばらくして行ってみたらその店はもうなかった。いい店だったんですけどね。

東浦へ

それから3年後、東浦でもと織布屋さんだった工場を買いました。綿布の関係をやってたみたいです。最初来た時は窓もなくてね、下は土間だし綿ぼこりがずい分たまってる。最初に機械を買おうか建物を建て直そうか、迷いましたよ。

まず弟と甥っ子に頼んで掃除をしてもらい、それから窓を作ってコンクリートを打ち、機械を買いました。しかし後でやっぱり建物が先だったかなと思ったことも。従業員さんを募集した時に、職安さんが人を派遣してくれて、入口まで来てくれたけど帰ってしまった。職安さんに帰った理由はなんですかと聞いたけど答えをしぶるので、今後の参考までに聞かせてほしいと頼んだら、「あんな古い建物の工場へ就職するのはいやだ」と。やっぱり若い子は会社の見た目も大事なんだろうなって思いましたね。

おかげ様で地元の人がパートに来て働いてくれました。当時、あるパートさんの子供が小学校に入学して、ピカピカの1年生になったんですね。それで「子供をここへ帰ってくるようにしてもいいですか」と聞くので、いいよって答えたんです。「ただいま!」って元気よくこの工場へ帰ってくるので、僕は「おかえり」って迎えるんだけどね。かわいい子でね、帰ってくるのが楽しみでしたよ。その子は今、2人の子をもつお母さんになった。いい思い出だよね。

縁と共に

縁があって青森から来てくれた子がいるんですよ。最初はなまりが強くて1年近く会話が無くてね。心配したけどなんとか落ち着いてくれて、もう26年ぐらいになるのかな。今じゃ一緒にご飯も食べるし風呂も入ってくし、息子みたいだね。昔はカムを使った機械だったけど、時代とともにどんどん変化し、コンピューターの機械が主流になった。彼もすごくがんばってくれたので、ここまでこれたと思う。

今は自動車の関連部品を95%ぐらい作っています。仕事は5人体制で、機械は1日のうち20時間、土日も動いています。機械のコンピューターを変えて刃物の形状を変えればほとんどなんでもできます。その刃物を変える時にとっても小さなネジがあってね。55歳ごろから一気に目が見えなくなってきたから、小さなネジがほとんど見えないんですよ。段取りや準備はできないので、従業員さんにおんぶに抱っこです。

パソコンでメールやインターネットを利用しています。習い始めた頃は、ワード、マウス、ドラッグなどカタカナばかりで困りましたよ。その次にカメラを教えてもらって、何百枚と撮るんだけど、これだと思える写真はたったの1枚か2枚。本当に難しいなと思うね。

仕事も趣味も壁にぶつかると、いったんスイッチを切り替えます。進んで行くとどこかで壁にぶつかるし、あれこれ悩むことも出てくるけど、いっそのことスイッチを切って、次の日に取り組むと案外すんなりと片付くことがある。これはなんでも応用がきくと思うんですよね。