富岡 政和さん
日彩電工 代表

〒470-2103
愛知県知多郡東浦町石浜平池上78-133
電話・FAX 0562-83-7013

新潟から東浦へ

出身は新潟です。昔の冬場は雪が4メートルほど積もるので、2階から出入りすることもありました。小学校の時分は一晩で3メートルも積もってましたから、外に出られず学校が3~4日休みになることも。
新潟は大雪が降るので、当時は農業も工場関係も仕事が少なくてね。農繁期や刈り入れ時には学校が休みになったし、逆に夏休みは少なくて半月あるかないか。雪解けは4月か5月の始めごろでした。

姉と兄は名古屋で生まれ、僕と妹2人は新潟で生まれ育ちました。学校を卒業後は、東京へ行く段取りをたててましたが、親父が『今から手に職を持ったほうがいい』というので、東浦へ行くことに。近所に酒造りの杜氏さんがいて、稲刈りの季節が終わると毎年、緒川の野村酒造さんに来て、春先になると新潟に帰っていました。杜氏さんの息子さんが村瀬電気さんの所に行ってたので、知り合いがおるとこの方がいいよということで、昭和36年に東浦へ。

電車で名古屋へ出てきた時は、にぎやかな所だなあと思ったけど、名古屋からこっち(東浦)へ来ると、田んぼが多くて田舎と変わらんなあ、と。17年ぐらい村瀬電気さんの所で修行をさせてもらいました。
仕事に行く時は自転車にカゴを着けて、道具を載せて通いました。国道がまだ砂利道でね。

昔は鉄管を自分らの腕で曲げてねじ切ってやったりしました。今は不自由ないけど、昔はほとんど手作業でした。今みたいにスッと上るクレーンがあるわけじゃないし、昔の電柱は木の柱でできてましたから、釘の付いた道具を足に着けて上っていましたね。そういう時代でしたよ。

東浦に来て3~4年ぐらいたった頃かな、トラックの運転手に憧れてね。やめる覚悟でボストンバッグを持って社長に言ったら「ちょっと考え直せよ」と言われて。どうのこうのしてる間に親父が倒れたので、実家へ戻るとお袋から「辛抱せよ、がんばれよ」と言われ、それで戻ることになりました。

仕事

国家試験で免許を取ると、そのランクによって高圧とか変電所関係の仕事をすることができます。いろんな現場があるから免許は一通り持ってないとね。電気屋になったら勉強せんでええかと思ったら、3倍ぐらい勉強・勉強だったよ(笑)。

ある程度の規模の工場を作るとなると、普通の低圧線では用量が足りないので、変電所の設備を設けて変圧して電気を送るんです。住宅・工場・店舗はそれぞれやり方が違うし、使う材料も変わってくる。普通の住宅はブレーカーがある盤が着いてますよね。100ボルトの配線と200ボルトの配線と、動力の3本線の配線とでは違うんです。会社だと電灯と動力とあるので、設計をします。一般住宅の場合も、このリビングなら間接照明や普通の照明や、これだけあれば明るいとか、部屋の大きさによって変わる。
見積もりを作って建築屋さんに出して納得してもらって初めて受注になる。設計して計算して、全般的な電気工事一式をさせてもらってます。

村瀬電気さんにいる時分から商工会にはいろいろお世話になってますね。今は石浜の地区長をやらせてもらってます。総務会や理事会があって、組合の予定もびっしりあるので、手帳に書いてあるんだけど、急に仕事が入ることもあるので予定が狂ってしまうことも。

早く引退したい気もしますが、声がかかるうちはと思っています。石浜の会員さんと神社でご祈祷してもらって食事をしたり、旅行に行ったりして会員さんの交流を深めます。
石浜地区の地域イベントや盆踊りに協力したり、いろんなことあるんですよ。年によっていろいろだけど、先代から引き継いでやってます。横のつながりは大事ですね。