中村 憲広さん
メモリー株式会社 代表取締役社長

〒470-2101
愛知県知多郡東浦町森岡上半之木54-1
電話 0562-83-8249
FAX 0562-83-8274
https://www.memoly.com/

社名「メモリー」の由来

もともと父が行政書士や測量士でしたので、測量の時に使うメジャーに打ってある『目盛り』から付けました。それと覚えてもらいたいという気持ちもこめて。行政書士や測量士の事務所を出していたのですが、日用品や文具、雑貨、クリーニングの取り次ぎのお店もやり始めて。今でいうコンビニのようなものですね。複写機というコピーサービスもやってて、それも販売するようになりました。始めたのは僕が小学2年ぐらいの時なので、26年前ですね。僕も店番や配達を手伝ったりして、近所の子供たちも来ましたよ。鉛筆やお菓子とか、文具にプラモデル、ラジコン、ファミコンのカセット、雑貨類、ファンシー雑貨、筆箱、肉まん、アイスクリーム、ジュース、いろいろありました。

大学へ行き始めた頃は、ちょうど就職氷河期でした。大学ではマーケティングやマネージメントを勉強し、コトラーやドラッカーを読んでました。大学へ通いながら何ヶ月か海外へバックパッカーで何十カ国、何百都市と回ったのですが、世界って大きいじゃないですか。海外へ行きたい、将来は海外で働くぞという思いが強くなり、父にはメモリーを継がないよと言ってたんです。しかし大学3年の後半、自分で勉強したことを試してみたい、やってみたいと思うようになり、大学へ通いながらメモリーを手伝うようになりました。

建築が好きで、世界中旅をしてガウディの建築やポンピドゥ、日本の安藤忠雄とかいろいろ見たりしました。建築士の資格を取ろうと、大学4年の1年間と卒業してからの1年間、夜間の学校へ毎日通いました。学校は夜6時から10時までなんですけど、メモリーの仕事が6時まであるので、終わったらすぐに学校へ行くという生活でした。その後にまた自分で勉強しないと試験は通らないので、2年間ぐらい勉強して、確か24歳の時に資格を取りました。今は全く使ってないですけど(笑)。

それから会社はどんどん面白くなってきて、自分で大きくしようと思うようになりました。どんどんなんでもチャレンジしよう、逆説的に言うと会社をつぶすぐらいの気持ち、みたいな感じで。(前回ご紹介の)(有)竹内組の社長と父は、測量の専門学校の時の同級生なので、その頃からの長いお付き合いなのですが、ある時「つぶすぐらいの気持ちでやろうと思ってるんです」と社長に話したら、「いや、『つぶす』なんて言っちゃダメだ。つぶすんじゃない。」と言われました。これは今でもハッキリと覚えてます。それで自分の中でとにかく一生懸命チャレンジしてみようと思うようになりました。それから1年か2年目の頃に、個人から有限会社メモリーに変え、父が社長になりました。その4年後にはメモリー株式会社になって、代表も変わりました。

想いを共有する

会社はみんながコミュニケーションをとってお互いにフォローしあい、働きがいのある職場を目指しています。子育てしながらでも生き生きと働けるように、例えば子供に何かあれば迎えに行ったり、熱が出たら休むとか、それもOKです。全然行ってもらってOKだけど、ただ空いた穴を他の人が埋められるように、そこはきちんとコミュニケーションを取っておかないと、休めなくなるし自分で働きづらくなるよねと。かといって自分が会社に行けなくてもまわるような職場なら、あなたの価値が無いじゃないか。だから逆に言ったら、あなたが休んだら会社のみんなが困る、というぐらいの付加価値をもった仕事をしてほしい。ちょっと矛盾しますが、そういうことを伝えて、がんばってやってもらうことが大事だなと思ってます。

趣味は山登り、スノーボード、スキューバダイビング、野球、小旅行、建築探訪、ピアノ、読書など。仕事は持久走だと思うので、遊びも仕事もしっかりパワフルにできるよう体を鍛えています。仕事も趣味も、たぶん毎日毎年、一生懸命やってたら『80歳、90歳になっちゃった』になると思うんですよ。がんばっていたいし、おごらずに調子に乗らずにやりたいなと思います。はじめは世界を目指していましたが、地元は地元で大事にしないといけない、というのはありますよね。自分の中ではまだ手探り状態で、1つずつ1つずつ何かやっていくだけですけど、会社が大きくなれば雇用の機会も生まれるでしょうし、急ぎすぎずに何か貢献できれば。そういうふうになれたらいいなと思います。